これから起業しようとしている者のための本です。
これを読んでも、まだ俺は成功したいと思う人であれば、
起業して成功するでしょう。
- この本の主張
- 付箋をいれたところ
- ◆自分には何もない、でも大きなことを成し遂げたい
- ◆はらわたで考える
- ◆異常なまでの執念
- ◆逆張りの発想「権限委譲」
- ◆業界の逆張りを実践する
- ◆悶々としたエネルギーを大きなプラスに転化する
- ◆はらわたを絞って考えよ
- ◆自分のやり方で勝負する
- ◆花より実を取る
- ◆連絡を断つ
- ◆マグマを溜め込む
- ◆泥棒市場の船出
- ◆徹底的にお客様のニーズを汲み取る
- ◆今の若者は祭りに飢えている
- ◆素人が逆張りで勝負する
- ◆既存の理論や仕組みは新しい価値を生まない
- ◆常識を信じない
- ◆有望マーケットの母胎は「人の心のありよう」
- ◆片手間ではうまくいかない
- ◆既成の権威や常識を打ち破る英雄
- ◆誰の力も一切借りずに
- ◆理路整然だから正しいということにならない
- ◆「はらわた」の核は「何が何でもこうありたい」という執念
- ◆素人にも強みがある
- ◆業界常識とは「勝利者の論理」 「勝利のための論理」ではない
- ◆「失敗のシナリオ」こそ重要
- ◆再挑戦だけが成功への唯一の道
この本の主張
はらわたで考え、知恵を絞り出し、
既存の権威や常識に孤軍奮闘でも立ち向かう。
異常なまでに執着し、何度でも立ち上がる。
それが成功への唯一の道。
付箋をいれたところ
◆自分には何もない、でも大きなことを成し遂げたい
若い頃私は何をやってもうまくいかず常に悶々とした思いにさいなまれていた。
学校に馴染めず社会に出てからも組織に適応できない。
カネもなく女性にもモテない。
大きなことを成し遂げたい、でも自分には何もないし何をしたらいいのかもわからない。
いわば心に抱え込んだ内圧の高さを持て余していたのだ。
◆はらわたで考える
そのたびにもがき苦しみうなりながら考えに考えた。
それは冷静に理詰めで考えるなんてもんじゃない。
はらわたの底から振り絞るようにして、何とか生き残るための活路を必死で考える。
その場しのぎの泥縄でも構わない。
とにかく今この瞬間を生き延びるために苦しみ抜いて考えるのだ。
◆異常なまでの執念
私が何度も押し寄せる大禍に押しつぶされなかったのは、
会社と従業員を命がけで愛してきたからだ。
ドンキを何が何でも守ると言う執念が異常なまでの頑張りと予想もつかない知恵や発想を生んできた。
◆逆張りの発想「権限委譲」
ドンキと言う企業の本質を一言で言うならそれは「権限委譲」だ。
◆業界の逆張りを実践する
だが、私はことごとく業界の逆張りを実践してきた。
しかも計算ずくの逆張りではなく、むしろ苦肉の策として逆張りせざるを得なかった。
しかし逆張りで勝負したからこそ誰にも真似できない企業を育てることができたのだと思っている。
◆悶々としたエネルギーを大きなプラスに転化する
だが、あなたの心の中にある悶々としたエネルギーはきっと大きなプラスに転化できる。
心の内圧が高い人ほど大きなポテンシャルを持っているからだ。
◆はらわたを絞って考えよ
「はらわた」を振り絞って考えよ。
「はらわた」とはもがき苦しむ力であり
どんなことがあっても最後に生き延びようとする一念だ。
◆自分のやり方で勝負する
他人に意見されて自説を曲げるぐらいならそもそも起業などしない。
しかし私は絶対にサラリーマンにはなりたくなかった。
自分のやり方で勝負したかった。
◆花より実を取る
曲がりなりにも慶応大学卒業だから名の通った大企業に就職することもできただろう。
しかし私はあえて大卒ところが誰でも入れる小さな不動産会社に就職することにした。
◆連絡を断つ
当時の私は実家はもちろん学生時代の数少ない友人たちとも連絡を断っていた。
無論、彼女などいなかったから頼れる人は誰もいない。
かといって寿町のドヤ街に舞い戻るのだけは金輪際ごめんだ。
◆マグマを溜め込む
もっとも起業自体を諦めたわけではなかった。
いつかは経営者として独立したいと漠然とした夢は捨てなかった。
これも後付けではあるが当時の私は悶々鬱々とした日々を送りながらも、
強烈なマグマを自身の中にため込んでいた時期だったのかもしれない。
◆泥棒市場の船出
ともあれそうした紆余曲折の末、
私の記念すべき創業の店「泥棒市場」は船出した。
時は1978年29歳の時である。
◆徹底的にお客様のニーズを汲み取る
そのためには徹底的にお客様のニーズを汲み取らねばならない。
私は五感をフル動員し必死でそのアンテナを張った。
今で言う「潜在ニーズの顕在化」と言うマーケティング戦略の一環だろうが、
当時はそんな言葉すらない。
◆今の若者は祭りに飢えている
いずれにせよ今の若者は祭りに飢えているのではないか。
例えば、本来西洋の祭りであるはずのハロウィンの
近年のわが国におけるあの異様な盛り上がりぶりは、
一体何なのだろう。
おかげで当社も大いにハロウィン効果を享受させてもらっているが、
結局あのハロウィン現象は祭りへの飢餓感の表れと私は理解している。
◆素人が逆張りで勝負する
知識ゼロ、経験ゼロ、人脈ゼロの素人が
ノウハウもなしに徒手空拳で金融品、バッタ品など玄人の世界にいきなり飛び込む。
廃盤品、サンプル品などを堂々と販売する。
倉庫は無い。
ぎゅうぎゅうに商品を詰め込み通路さえ歩けない。
さらに夜中も営業する。
明らかにこれらは全て当時の流通業の非常識である。
それこそやってはいけない店の経営の見本のようなものだ。
◆既存の理論や仕組みは新しい価値を生まない
それは従来の流通、販売、マーケティングの成功法則が
必ずしも正解ではないと言うことだ。
少なくともそれらの理論が
新たな市場や顧客満足を生み出すものではないということの証と言える。
◆常識を信じない
その根源には「常識を信じない」と言う体験論的な哲学がある。
これは私の生来の性分でもあるのだが。
◆有望マーケットの母胎は「人の心のありよう」
いずれにせよ私は「人の心のありよう」こそ
新たな有望マーケットの母胎だと思っている。
◆片手間ではうまくいかない
それはともかく、例えば前述した当時のディスカウント店の店主たちは
サイドビジネス的に片手間でやっているような人も多く、
今から考えればうまくいくはずがなかった。
結局私のいう店と売り場作りは
とてつもない手間暇とエネルギー、
覚悟と情熱を必要としたからである。
◆既成の権威や常識を打ち破る英雄
ドン・キホーテとはスペインの文豪セルバンテスの名作であり、
主人公の名でもある。
痩せ馬にまたがる主人公が理想に燃え、
風車に向かって突進するその様は、
空想的かつ無鉄砲な英雄の象徴でもある。
私も流通業界と言う巨大な風車を相手に、
既成の権威や常識を打ち破りながら、
たとえ孤軍奮闘でも自らの理想のもと突き進んでいこう。
気負った青臭い表現で自分でも照れてしまうが、
本気でそう思っていたのは事実である。
◆誰の力も一切借りずに
私は50歳と言う人生の節目を迎え、
表には出さなかったが内心は得意満面だった。
誰の力も一切借りずに文字通りゼロから起業してたった1人の流通革命を起こし
そしてわずか二十余年で年商1000億円級の一部上場企業に上り詰めた。
◆理路整然だから正しいということにならない
私の経験上こうした一見もっともらしい理論が1番危ない。
IQの高い人が経営で過ちを犯すのは理路整然と経営を行い、
理路整然と間違うからだ。
金融や投資の世界でも理路整然とした理論はいくつもある。
そして皆それを信じて理路整然と間違える。
理路整然だから正しいということには決してならない。
◆「はらわた」の核は「何が何でもこうありたい」という執念
だからこそ「はらわた」を据え常に粘り強く戦い続けなければならない。
繰り返すが格闘技における最大の武器ははらわたである。
そしてはらわたの核を形成するのは「何が何でもこうありたい」という
自己実現の強烈な思いと執念、ひたむきさに他ならない。
◆素人にも強みがある
私は全くのド素人で小売業を始めた。
知識はゼロ、経験もゼロ、もちろんその道の師匠などいない。
頼りになるのは自分の勘しかなく必然的に自分流を極めるしか他に方法がなかった。
◆業界常識とは「勝利者の論理」 「勝利のための論理」ではない
業界常識に従うとはそうした先発企業と同じ土俵同じルールで戦うことを意味する。
言い換えれば業界常識とは「勝利者の論理」であって「勝利のための論理」では無い。
だから後発企業が先発企業の真似をしても絶対に勝てない。
◆「失敗のシナリオ」こそ重要
よく「成功のシナリオ」が重要などといわれるが、
私に言わせれば成功は成功した段階で初めて完結する結果論なのだから
そのシナリオを描いても全く意味がない。
失敗にこそ見切りの判断基準となる「失敗のシナリオ」が必要なのだ。
◆再挑戦だけが成功への唯一の道
「ロスカットルール」も「失敗の定義」も「シナリオ」も全ては再挑戦のためにある。
再挑戦の繰り返しだけが大輪の成功の花を咲かせる唯一の道である。
そういう意味では見切りには「千両の価値」があり、
さらに再挑戦には「万両の価値」があるのだ。